Category Archives: 名作文学

カインの末裔 有島武郎 【日本の名作文学】

「カインの末裔」 
作:有島武郎

長い影を地にひいて、痩馬の手綱を取りながら、彼れは黙りこくって歩いた。
大きな汚い風呂敷包と一緒に、章魚のように頭ばかり大きい赤坊をおぶった彼
れの妻は、少し跛脚をひきながら三、四間も離れてその跡からとぼとぼとつい
て行った。

(略)

二人の男女は重荷の下に苦しみながら少しずつ倶知安の方に動いて行った。
椴松帯が向うに見えた。凡ての樹が裸かになった中に、この樹だけは幽鬱な暗
緑の葉色をあらためなかった。真直な幹が見渡す限り天を衝いて、怒濤のよう
な風の音を籠めていた。二人の男女は蟻のように小さくその林に近づいて、や
がてその中に呑み込まれてしまった。

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あいびき 二葉亭四迷 【日本の名作文学】

「あいびき」
作:二葉亭四迷

 

秋九月中旬というころ、一日自分がさる樺の林の中に座していたことがあッた。
今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生ま煖かな日かげも射し
て、まことに気まぐれな空ら合い。

 

(略)

 

自分は帰宅した、が可哀そうと思ッた「アクーリナ」の姿は久しく眼前にちら
ついて、忘れかねた。持帰ッた花の束ねは、からびたままで、なおいまだに秘
蔵してある………………

 

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羅生門 芥川龍之介 【日本の名作文学】

「羅生門」

 

作:芥川龍之介

 

ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。

広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗の剥げた、大きな

円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。

 

(略)

老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよ

りに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い白髪を倒にして、門

の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。

下人の行方は、誰も知らない。

 

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のんきな患者 梶井基次郎 【日本の名作文学】

「のんきな患者」
作:梶井基次郎

吉田は肺が悪い。寒になって少し寒い日が来たと思ったら、すぐその翌日から高い熱を出してひどい咳になってしまった。胸の臓器を全部押し上げて出してしまおうとしているかのような咳をする。四五日経つともうすっかり痩せてしまった。咳もあまりしない。しかしこれは咳が癒ったのではなくて、咳をするための腹の筋肉がすっかり疲れ切ってしまったからで、彼らが咳をするのを肯じなくなってしまったかららしい。

(略)

吉田はこれまでこの統計からは単にそういうようなことを抽象して、それを自分の経験したそういうことにあてはめて考えていたのであるが、荒物屋の娘の死んだことを考え、また自分のこの何週間かの間うけた苦しみを考えるとき、漠然とまたこういうことを考えないではいられなかった。それはその統計のなかの九十何人という人間を考えてみれば、そのなかには女もあれば男もあり子供もあれば年寄もいるにちがいない。そして自分の不如意や病気の苦しみに力強く堪えてゆくことのできる人間もあれば、そのいずれにも堪えることのできない人間もずいぶん多いにちがいない。しかし病気というものは決して学校の行軍のように弱いそれに堪えることのできない人間をその行軍から除外してくれるものではなく、最後の死のゴールへ行くまではどんな豪傑でも弱虫でもみんな同列にならばして嫌応なしに引き摺ってゆく――ということであった。

 

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#父帰る #菊池寛【日本の名作文学】

「父帰る」
作:菊池寛

賢一郎 おたあさん、おたねはどこへ行ったの。
母   仕立物を届けに行った。
賢一郎 まだ仕立物をしとるの。もう人の家の仕事やこし、せんでもええのに。
母   そうやけど嫁入りの時に、一枚でも余計ええ着物を持って行きたいのだろうわい。
賢一郎 (新聞の裏を返しながら)この間いうとった口はどうなったの。
母   たねが、ちいと相手が気に入らんのだろうわい。向こうはくれくれいうてせがんどったんやけれどものう。
賢一郎 財産があるという人やけに、ええ口やがなあ。

(略)

おたね 兄さん!
(しばらくのあいだ緊張した時が過ぎる)
賢一郎 新! 行ってお父さんを呼び返してこい。
(新二郎、飛ぶがごとく戸外へ出る。三人緊張のうちに待っている。新二郎やや蒼白な顔をして帰って来る)
新二郎 南の道を探したが見えん、北の方を探すから兄さんも来て下さい。
賢一郎 (驚駭して)なに見えん! 見えんことがあるものか。
(兄弟二人狂気のごとく出で去る)

 

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#文字禍 #中島敦 【日本の名作文学】

「文字禍」
作:中島敦

 文字の霊などというものが、一体、あるものか、どうか。
 アッシリヤ人は無数の精霊を知っている。夜、闇の中を跳梁するリル、その雌のリリツ、疫病をふり撒くナムタル、死者の霊エティンム、誘拐者ラバス等、数知れぬ悪霊共がアッシリヤの空に充ち満ちている。しかし、文字の精霊については、まだ誰も聞いたことがない。

(略)

 文字の霊が、この讒謗者をただで置く訳が無い。ナブ・アヘ・エリバの報告は、いたく大王のご機嫌を損じた。ナブウ神の熱烈な讃仰者で当時第一流の文化人たる大王にしてみれば、これは当然のことである。老博士は即日謹慎を命ぜられた。大王の幼時からの師傅たるナブ・アヘ・エリバでなかったら、恐らく、生きながらの皮剥に処せられたであろう。思わぬご不興に愕然とした博士は、直ちに、これが奸譎な文字の霊の復讐であることを悟った。
 しかし、まだこれだけではなかった。数日後ニネヴェ・アルベラの地方を襲った大地震の時、博士は、たまたま自家の書庫の中にいた。彼の家は古かったので、壁が崩れ書架が倒れた。夥しい書籍が――数百枚の重い粘土板が、文字共の凄まじい呪の声と共にこの讒謗者の上に落ちかかり、彼は無慙にも圧死した。

 

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#ヴィヨンの妻 #太宰治【日本の名作文学】

ヴィヨンの妻

作:太宰治

 あわただしく、玄関をあける音が聞えて、私はその音で、眼をさましましたが、それは泥酔の夫の、深夜の帰宅にきまっているのでございますから、そのまま黙って寝ていました。
 夫は、隣の部屋に電気をつけ、はあっはあっ、とすさまじく荒い呼吸をしながら、机の引出しや本箱の引出しをあけて掻きまわし、何やら捜している様子でしたが、やがて、どたりと畳に腰をおろして坐ったような物音が聞えまして、あとはただ、はあっはあっという荒い呼吸ばかりで、何をしている事やら、私が寝たまま、
「おかえりなさいまし。ごはんは、おすみですか? お戸棚に、おむすびがございますけど」
 と申しますと、
「や、ありがとう」といつになく優しい返事をいたしまして、「坊やはどうです。熱は、まだありますか?」とたずねます。

(略)

 夫は、黙ってまた新聞に眼をそそぎ、
「やあ、また僕の悪口を書いている。エピキュリアンのにせ貴族だってさ。こいつは、当っていない。神におびえるエピキュリアン、とでも言ったらよいのに。さっちゃん、ごらん、ここに僕のことを、人非人なんて書いていますよ。違うよねえ。僕は今だから言うけれども、去年の暮にね、ここから五千円持って出たのは、さっちゃんと坊やに、あのお金で久し振りのいいお正月をさせたかったからです。人非人でないから、あんな事も仕出かすのです」
 私は格別うれしくもなく、
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」
 と言いました。

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