Category Archives: 名作文学

#門 #夏目漱石 【日本の名作文学】

作:夏目漱石

宗助は先刻から縁側へ坐蒲団を持ち出して、日当りの好さそうな所へ気楽に胡坐をかいて見たが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった。秋日和と名のつくほどの上天気なので、往来を行く人の下駄の響が、静かな町だけに、朗らかに聞えて来る。肱枕をして軒から上を見上げると、奇麗な空が一面に蒼く澄んでいる。その空が自分の寝ている縁側の、窮屈な寸法に較べて見ると、非常に広大である。たまの日曜にこうして緩くり空を見るだけでもだいぶ違うなと思いながら、眉を寄せて、ぎらぎらする日をしばらく見つめていたが、眩しくなったので、今度はぐるりと寝返りをして障子の方を向いた。障子の中では細君が裁縫をしている。

(略)

宗助は家へ帰って御米にこの鶯の問答を繰り返して聞かせた。御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、
「本当にありがたいわね。ようやくの事春になって」と云って、晴れ晴れしい眉を張った。宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、
「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。

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#河童 #芥川龍之介【日本の名作文学】

これはある精神病院の患者、――第二十三号がだれにでもしゃべる話である。彼はもう三十を越しているであろう。が、一見したところはいかにも若々しい狂人である。彼の半生の経験は、――いや、そんなことはどうでもよい。彼はただじっと両膝をかかえ、時々窓の外へ目をやりながら、(鉄格子をはめた窓の外には枯れ葉さえ見えない樫の木が一本、雪曇りの空に枝を張っていた。)院長のS博士や僕を相手に長々とこの話をしゃべりつづけた。もっとも身ぶりはしなかったわけではない。彼はたとえば「驚いた」と言う時には急に顔をのけぞらせたりした。……

(略)

 
けれども僕はこの詩人のように厭世的ではありません。河童たちの時々来てくれる限りは、――ああ、このことは忘れていました。あなたは僕の友だちだった裁判官のペップを覚えているでしょう。あの河童は職を失った後、ほんとうに発狂してしまいました。なんでも今は河童の国の精神病院にいるということです。僕はS博士さえ承知してくれれば、見舞いにいってやりたいのですがね……。

 

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#風立ちぬ #堀辰雄【日本の名作文学】

風立ちぬ

堀辰雄

 

それらの夏の日々、一面に薄の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に
絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていた
ものだった。そうして夕方になって、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、
それからしばらく私達は肩に手をかけ合ったまま、遥か彼方の、縁だけ茜色を帯
びた入道雲のむくむくした塊りに覆われている地平線の方を眺めやっていたもの
だった。

 

(略)

 

まあ、ときおり私の小屋のすぐ裏の方で何かが小さな音を軋しらせているようだ
けれど、あれは恐らくそんな遠くからやっと届いた風のために枯れ切った木の枝
と枝とが触れ合っているのだろう。又、どうかするとそんな風の余りらしいもの
が、私の足もとでも二つ三つの落葉を他の落葉の上にさらさらと弱い音を立てな
がら移している……。

 

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#蟹工船 #小林多喜二【日本の名作文学】

蟹工船

小林多喜二

 

「おい地獄さ行ぐんだで!」
二人はデッキの手すりに寄りかかって、蝸牛が背のびをしたように延びて、
海を抱え込んでいる函館の街を見ていた。―漁夫は指元まで吸いつくした煙草
を唾と一緒に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高
い船腹をすれずれに落ちて行った。彼は身体一杯酒臭かった。
(略)

 

「本当のことを云えば、そんな先きの成算なんて、どうでもいいんだ。―死ぬ
か、生きるか、だからな」
「ん、もう一回だ!」

そして、彼等は、立ち上った。―もう一度!

 

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#或る女 #有島武郎【日本の名作文学】

或る女

有島武郎

 

新橋を渡る時、発車を知らせる二番目の鈴が、霧とまではいえない九月の朝の、煙った空気に包まれて聞こえて来た。葉子は平気でそれを聞いたが、車夫は宙を飛んだ。そして車が、鶴屋という町のかどの宿屋を曲がって、いつでも人馬の群がるあの共同井戸のあたりを駆けぬける時、停車場の入り口の大戸をしめようとする駅夫と争いながら、八分がたしまりかかった戸の所に突っ立ってこっちを見まもっている青年の姿を見た。

 

(略)

 

葉子はだれにとも何にともなく息気を引き取る前に内田の来るのを祈った。
しかし小石川に住んでいる内田はなかなかやって来る様子も見せなかった。
「痛い痛い痛い……痛い」
葉子が前後を忘れわれを忘れて、魂をしぼり出すようにこううめく悲しげな叫び声は、大雨のあとの晴れやかな夏の朝の空気をかき乱して、惨ましく聞こえ続けた。

 

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#山月記 #中島敦【日本の名作文学】

山月記 中島敦
隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山、略に帰臥し、人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った。

 

(略)

 

一行が丘の上についた時、彼等は、言われた通りに振返って、先程の林間の草地を眺めた。忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。

 

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#十三夜 #樋口一葉 【日本の名作文学】

十三夜 樋口一葉

 

例は威勢よき黒ぬり車の、それ門に音が止まつた娘ではないかと兩親に出迎はれつる物を、今宵は辻より飛のりの車さへ歸して悄然と格子戸の外に立てば、家内には父親が相かはらずの高聲、いはゞ私も福人の一人、いづれも柔順しい子供を持つて育てるに手は懸らず人には褒められる、分外の慾さへ渇かねば此上に望みもなし、やれ/\有難い事と物がたられる、あの相手は定めし母樣、あゝ何も御存じなしに彼のやうに喜んでお出遊ばす物を、何の顏さげて離縁状もらふて下されと言はれた物か、叱かられるは必定、太郎といふ子もある身にて置いて驅け出して來るまでには種々思案もし盡しての後なれど、今更にお老人を驚かして是れまでの喜びを水の泡にさせまする事つらや、寧そ話さずに戻ろうか、戻れば太郎の母と言はれて何時/\までも原田の奧樣、御兩親に奏任の聟がある身と自慢させ、私さへ身を節儉れば時たまはお口に合ふ者お小遣ひも差あげられるに、思ふまゝを通して離縁とならは太郎には繼母の憂き目を見せ、御兩親には今までの自慢の鼻にはかに低くさせまして、人の思はく、弟の行末、あゝ此身一つの心から出世の眞も止めずはならず、戻らうか、戻らうか、あの鬼のやうな我良人のもとに戻らうか、彼の鬼の、鬼の良人のもとへ、ゑゝ厭や厭やと身をふるはす途端、よろ/\として思はず格子にがたりと音さすれば、誰れだと大きく父親の聲、道ゆく惡太郎の惡戲とまがへてなるべし。

 

(略)

廣小路に出れば車もあり、阿關は紙入れより紙幣いくらか取出して小菊の紙にしほらしく包みて、録さんこれは誠に失禮なれど鼻紙なりとも買つて下され、久し振でお目にかゝつて何か申たい事は澤山あるやうなれど口へ出ませぬは察して下され、では私は御別れに致します、隨分からだを厭ふて煩らはぬ樣に、伯母さんをも早く安心させておあげなさりまし、蔭ながら私も祈ります、何うぞ以前の録さんにお成りなされて、お立派にお店をお開きに成ります處を見せて下され、左樣ならばと挨拶すれば録之助は紙づゝみを頂いて、お辭儀申す筈なれど貴孃のお手より下されたのなれば、あり難く頂戴して思ひ出にしまする、お別れ申すが惜しいと言つても是れが夢ならば仕方のない事、さ、お出なされ、私も歸ります、更けては路が淋しう御座りますぞとて空車引いてうしろ向く、其人は東へ、此人は南へ、大路の柳月のかげに靡いて力なささうの塗り下駄のおと、村田の二階も原田の奧も憂きはお互ひの世におもふ事多し。

 

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