Category Archives: 名作文学

#富嶽百景 #太宰治【日本の名作文学】

富嶽百景

作:太宰治

 富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晁の富士も八十四度くらゐ、けれども、陸軍の実測図によつて東西及南北に断面図を作つてみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。広重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角である。いただきが、細く、高く、華奢である。北斎にいたつては、その頂角、ほとんど三十度くらゐ、エッフェル鉄塔のやうな富士をさへ描いてゐる。けれども、実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。

(略)

ふたり声をそろへてお礼を言ふ。うちへ帰つて現像してみた時には驚くだらう。富士山だけが大きく写つてゐて、ふたりの姿はどこにも見えない。
 その翌る日に、山を下りた。まづ、甲府の安宿に一泊して、そのあくる朝、安宿の廊下の汚い欄干によりかかり、富士を見ると、甲府の富士は、山々のうしろから、三分の一ほど顔を出してゐる。酸漿に似てゐた。

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#注文の多い料理店 #宮沢賢治 【日本の名作文学】

「注文の多い料理店」
作:宮沢賢治

 二人の若い紳士が、すつかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴか/\する鉄砲をかついで、白熊のやうな犬を二疋つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさ/\したとこを、こんなことを云ひながら、あるいてをりました。
「ぜんたい、こゝらの山は怪しからんね。鳥も獣も一疋も居やがらん。なんでも構はないから、早くタンタアーンと、やつて見たいもんだなあ。」

(略)

 簔帽子をかぶつた専門の猟師が、草をざわざわ分けてやつてきました。
 そこで二人はやつと安心しました。
 そして猟師のもつてきた団子をたべ、途中で十円だけ山鳥を買つて東京に帰りました。
 しかし、さつき一ぺん紙くづのやうになつた二人の顔だけは、東京に帰つても、お湯にはひつても、もうもとのとほりになほりませんでした。

 

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#城のある町にて #梶井基次郎 【日本の名作文学】

「城のある町にて」
作:梶井基次郎

「高いとこの眺めは、アアッ(と咳をして)また格段でごわすな」
片手に洋傘、片手に扇子と日本手拭を持っている。頭が奇麗いに禿ていて、カンカン帽子を冠っているのが、まるで栓をはめたように見える。――そんな老人が朗らかにそう言い捨てたまま峻の脇を歩いて行った。言っておいてこちらを振り向くでもなく、眼はやはり遠い眺望へ向けたままで、さもやれやれといったふうに石垣のはなのベンチへ腰をかけた。

(略)

気がつくと、白い猫が一匹、よその家の軒下をわたって行った。
信子の着物が物干竿にかかったまま雨の中にあった。筒袖の、平常着ていたゆかたで彼の一番眼に慣れた着物だった。その故か、見ていると不思議なくらい信子の身体つきが髣髴とした。
夕立はまた町の方へ行ってしまった。遠くでその音がしている。
「チン、チン」
「チン、チン」
鳴きだしたこおろぎの声にまじって、質の緻密な玉を硬度の高い金属ではじくような虫も鳴き出した。
彼はまだ熱い額を感じながら、城を越えてもう一つ夕立が来るのを待っていた。

 

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#檸檬 #梶井基次郎 【日本の名作文学】

「檸檬」
作:梶井基次郎

えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。

(略)

変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉みじんだろう」
そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩っている京極を下って行った。

 

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#平凡 #二葉亭四迷 【日本の名作文学】

「平凡」
作:二葉亭四迷

私は今年三十九になる。人世五十が通相場なら、まだ今日明日穴へ入ろうとも思わぬが、しかし未来は長いようでも短いものだ。過去って了えば実に呆気ない。まだまだと云ってる中にいつしか此世の隙が明いて、もうおさらばという時節が来る。其時になって幾ら足掻いたって藻掻いたって追付かない。覚悟をするなら今の中だ。
いや、しかし私も老込んだ。三十九には老込みようがチト早過ぎるという人も有ろうが、気の持方は年よりも老けた方が好い。それだと無難だ。

(略)

私が始終斯ういう感じにばかり漬っていて、実感で心を引締めなかったから、人間がだらけて、ふやけて、やくざが愈どやくざになったのは、或は必然の結果ではなかったか? 然らば高尚な純正な文学でも、こればかりに溺れては人の子もそこなわれる。況んやだらしのない人間が、だらしのない物を書いているのが古今の文壇の・・・

 

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#草枕 #夏目漱石 【日本の名作文学】

草枕

作:夏目漱石

山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

(略)

茶色のはげた中折帽の下から、髯だらけな野武士が名残り惜気に首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合せた。鉄車はごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いている。
「それだ! それだ! それが出れば画になりますよ」と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。

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#カインの末裔 #有島武郎 【日本の名作文学】

カインの末裔 有島武郎

 

長い影を地にひいて、痩馬の手綱を取りながら、彼れは黙りこくって歩いた。大きな汚い風呂敷包と一緒に、章魚のように頭ばかり大きい赤坊をおぶった彼れの妻は、少し跛脚をひきながら三、四間も離れてその跡からとぼとぼとついて行った。
北海道の冬は空まで逼っていた。蝦夷富士といわれるマッカリヌプリの麓に続く胆振の大草原を、日本海から内浦湾に吹きぬける西風が、打ち寄せる紆濤のように跡から跡から吹き払っていった。寒い風だ。見上げると八合目まで雪になったマッカリヌプリは少し頭を前にこごめて風に歯向いながら黙ったまま突立っていた。昆布岳の斜面に小さく集った雲の塊を眼がけて日は沈みかかっていた。草原の上には一本の樹木も生えていなかった。心細いほど真直な一筋道を、彼れと彼れの妻だけが、よろよろと歩く二本の立木のように動いて行った。

 

(略)

 

二人の男女は重荷の下に苦しみながら少しずつ倶知安の方に動いて行った。 椴松帯が向うに見えた。凡ての樹が裸かになった中に、この樹だけは幽鬱な暗緑の葉色をあらためなかった。真直な幹が見渡す限り天を衝いて、怒濤のような風の音を籠めていた。二人の男女は蟻のように小さくその林に近づいて、やがてその中に呑み込まれてしまった。

 

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