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#雁 #森鴎外 【日本の名作文学】
「雁」
作:森鴎外
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条と云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人であった。その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
(略)
僕は今この物語を書いてしまって、指を折って数えて見ると、もうその時から三十五年を経過している。物語の一半は、親しく岡田に交っていて見たのだが、他の一半は岡田が去った後に、図らずもお玉と相識になって聞いたのである。譬えば実体鏡の下にある左右二枚の図を、一の影像として視るように、前に見た事と後に聞いた事とを、照らし合せて作ったのがこの物語である。読者は僕に問うかも知れない。「お玉とはどうして相識になって、どんな場合にそれを聞いたか」と問うかも知れない。しかしこれに対する答も、前に云った通り、物語の範囲外にある。只僕にお玉の情人になる要約の備わっていぬことは論を須たぬから、読者は無用の臆測をせぬが好い。
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#山椒大夫 #森鴎外 【日本の名作文学】
「山椒大夫」
作:森鴎外
越後の春日を経て今津へ出る道を、珍らしい旅人の一群れが歩いている。
母は三十歳を踰えたばかりの女で、二人の子供を連れている。姉は十四、
弟は十二である。それに四十ぐらいの女中が一人ついて、くたびれた同
胞二人を、「もうじきにお宿にお着きなさいます」と言って励まして歩
かせようとする。二人の中で、姉娘は足を引きずるようにして歩いてい
るが、それでも気が勝っていて、疲れたのを母や弟に知らせまいとして、
折り折り思い出したように弾力のある歩きつきをして見せる。
(略)
女は雀でない、大きいものが粟をあらしに来たのを知った。そしていつ
もの詞を唱えやめて、見えぬ目でじっと前を見た。そのとき干した貝が
水にほとびるように、両方の目に潤いが出た。女は目があいた。
「厨子王」という叫びが女の口から出た。二人はぴったり抱き合った。
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#方丈記 #鴨長明 【日本の名作文学】
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#光と風と夢 #中島敦 【日本の名作文学】
#にごりえ #樋口一葉 【日本の名作文学】
「にごりえ」
作:樋口一葉
おい木村さん信さん寄つてお出よ、お寄りといつたら寄つても宜いでは
ないか、又素通りで二葉やへ行く氣だらう、押かけて行つて引ずつて來
るからさう思ひな、ほんとにお湯なら歸りに屹度よつてお呉れよ、嘘つ
吐きだから何を言ふか知れやしないと店先に立つて馴染らしき突かけ下
駄の男をとらへて小言をいふやうな物の言ひぶり、腹も立たずか言譯し
ながら後刻に後刻にと行過るあとを、一寸舌打しながら見送つて後にも
無いもんだ來る氣もない癖に、本當に女房もちに成つては仕方がないね
と店に向つて閾をまたぎながら一人言をいへば、高ちやん大分御述懷だ
ね、
(略)
流石に振はなして逃る事もならず、一處に歩いて話しはしても居たらう
なれど、切られたは後袈裟、頬先のかすり疵、頸筋の突疵など色々あれ
ども、たしかに逃げる處を遣られたに相違ない、引かへて男は美事な切
腹、蒲團やの時代から左のみの男と思はなんだがあれこそは死花、ゑら
さうに見えたといふ、何にしろ菊の井は大損であらう、彼の子には結構
な旦那がついた筈、取にがしては殘念であらうと人の愁ひを串談に思ふ
ものもあり、諸説みだれて取止めたる事なけれど、恨は長し人魂か何か
しらず筋を引く光り物のお寺の山といふ小高き處より、折ふし飛べるを
見し者ありと傳へぬ。
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