「岸本君――僕は僕の近来の生活と思想の断片を君に書いて送ろうと思う。然し実を言えば何も書く材料は無いのである。黙していて済むことである。君と僕との交誼が深ければ深いほど、黙していた方が順当なのであろう。旧い家を去って新しい家に移った僕は懶惰に費す日の多くなったのをよろこぶぐらいなものである。僕には働くということが出来ない。他人の意志の下に働くということは無論どうあっても出来ない。そんなら自分の意志の鞭を背にうけて、厳粛な人生の途に上るかというに、それも出来ない。今までに一つとして纏った仕事をして来なかったのが何よりの証拠である。
(略)
「父さん、どうするの」と学校から早びけで帰って来た繁が訊いた。
「ああそうだ、お節ちゃんが置いて行ったんだね」と泉太も庭へ下りて来て言った。
「やあ。僕も手伝おうや」
こういう子供を相手に、岸本はその根を深く埋め直して、やがてやって来る霜にもいたまないようにした。節子はもう岸本の内部に居るばかりでなく、庭の土の中にもいた。
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