そういう事情であったから、法学部の講義の中心をなしていた憲法とか民法とかいうようなものは、要するに、現行法制を説明してその知識を与えるのが目的であると学生一般は考えていた。これらの講義を通して法学的なものの考え方を教えるのだということを、意識的に気づくようにはほとんどならなかったのは勿論、現行法の講義と同時にローマ法、法制史、法理学、外国法等の講義を与えられても、それと現行法の講義との間にどういう開係があるのかというようなことは全くわからず、また十分教えられもしなかった。殊に外国法のごときは、外国人が先生であった関係もあって、一般の学生にとっては甚だ苦手な科目で、学校では特に外国法奨励のために成績の良い者には賞金をくれたりしていたにもかかわらず、結局この科目も、暗記の対象である以上にはほとんど何らの教育価値もなかったように思う。
私は終戦後大学教育を離れてから既に五年以上を経ているので、今の法学部で一般にどういう教育が行われているかについて、ほとんど何らの具体的知識も持っていない。また、このごろの学生の素養や学習態度等についても、全く無知識である。しかし、およそ法学が学問としてどういう性質を持つものであるかを今でも多くの学生は知っておらず、何とはなしに法学部に入学して、ただ卒業することだけを考えている人が、非常に多いのではないかと私は想像している。そういう学生に、多少法学と法学教育の真の目的がどこにあるかを教えようというのが、この文章を書く目的である。
この文章は、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/
)から転載したものです。
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