もっとも、法学部に入ってくる学生のことだから、彼らのすべてが初めから法学に多少とも興味を持っているに違いないと思うのがそもそもの間違いで、学生の多数は、法学に志しているのではなくして、単に法学部を卒業すること、そしてできればなるべく良い成績で卒業することを志しているにすぎないから、彼らにとっては、学問そのものはどうでもよいのである。だから、卒業後司法官や弁護士のような法律関係の職業に向おうとする少数の学生以外の者にとっては、学問は要するに受験の具にすぎなかったので、私がその後大学に在職している間に高文試験制度が変って法律関係の試験科目が減ると、それを機会に法律学科の学生が急に減って――法学科目の少ない――政治学科の学生が激増したるがごときは、まさにこの傾向を如実に反映したものと言うことができる。
だから、当時我々は、ドイツの或る学者が法学は要するに「パンの学問」Brotwis-senschaft にすぎないと言ったという説を聞いても、深くその意味を考えてみようともしなかった。また、卒業後官庁や会社に入って相当出世した先輩たちの、「大学で習ったことそれ自身は何の役にも立たない、習ったことをすっかり忘れてしまった頃になって初めて一人前の役人なり会社員になれるのだ」というような話を聞いても、なるほどそういうものかなと感心するぐらいのことで、深くその訳を考えてみる気さえ起さなかったような次第であった。今から考えれば――後に記すように――、この先輩の話にも、「パンの学問」にも、なかなか面白い意味があるのだが、当時としては全くそうしたことに気づかないのが実情であった。
この文章は、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/
)から転載したものです。
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コトダマ・ドットイン
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