哲学入門(59) 三木清

 道徳的真理即ち真実が信頼を基礎付ける。信頼は、元来、主体と主体との間に成立つ関係である。自己の呼び掛けに対して他が必ず応えるであろうと信頼する、その際他のまことが信ぜられており、また応える側においても自己に呼び掛ける者のまことが信ぜられている、即ち信頼は人と人との間に真理が起るということを土台としている。信頼は単に他が変らぬこと、彼の人格の同一性を信ずるというが如きことではない。カントは正直という徳を、不正直であることは自己矛盾に陥るとして説明したが、すべて道徳はかように形式論理をもって説明し得るものでない。道徳的真理は我と汝という全く独立なもの、対立するものの統一の上に成立つのであるが、道徳はすべてかくの如く弁証法的なものである。ところで他の呼び掛けに応えることは責任をとるということであり、それに応えないことは無責任ということである。責任をもつというのは他の信頼に報いることであり、無責任であるというのは他の信頼を裏切ることである。信頼と同じく責任の観念は道徳的行為の基礎である。もし信頼がただ他を信頼するのみで同時に自己を信頼することでないとすれば、それは自己のまことを失うことになり、無責任なことになる。責任もまた単に自己の他に対する責任でなく、自己の自己に対する責任でなければならぬ。他に対して責任を負うことが同時に自己に対して責任を負うことであり、自己に対して責任を負うことが同時に他に対して責任を負うことであるというところに、人間のまことがあるのである。そして人格の観念と責任の観念とは本質的に結び付いている。人格とは責任の主体である。責任の主体は自由でなければならず、自由なものであって責任の主体となり得るのである。「汝為すべし」と呼び掛けられているのを知る人間は、まさにそれによってまた自己が自由なものとして、自己の道徳的自由に向って呼び掛けられているのを知るのである。自由と責任とは不可分のものである。
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