二 およそ学問に入る入口で、今これから学ぼうとする学問が大体どういう学問であるかについて一応の知識を持っていることが、学習の能率を上げるのに役立つことは、我々が子供の時からの経験でよく知っている。そうした知識を持たないために無用な苦労をした経験を持つ人は、非常に多いのではなかろうか。例えば、私自らが中学四年の時に初めて三角術を教えられた時のことを思い出してみると、これが算術はもとより幾何学に比べても非常にむずかしいように思われたのであるが、後から考えてみると、そのむずかしかった主な原因は、先生が、講義の入口でこの学問が一体どういう目的を持つものであるかを全く教えずに、頭から教科書に書いてあることを教え込もうとしたことにあったのである。その後中学の数学教育も非常に改善されて、今ではこうした弊害は大体取り除かれたように聞いているから、今の青年諸君にこうした経験を語っても、あるいは十分にわかってもらえないのかも知れないが、類似の経験は多少ともすべての人が持っていると思う。ともかく、今自らが学びつつある学問が一体何を目的としているのか全くわからなければ、結局教えられることを暗記するよりほかに学習の方法はないのだから、いつまでたってもなかなか学問そのものを理解できるようにならないのは当然である。
この文章は、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/
)から転載したものです。
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コトダマ・ドットイン
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