尤(もっと)も、行為はすべて技術的であるにしても、すべての技術的行為が道徳的行為と考えられるのではないであろう。固有な意味における技術は物の生産の技術であって、かような技術的行為はそれ自身としては道徳的と見られないのが普通である。道徳的という場合、それは物にでなく人間に、客体にでなく主体に、関係している。技術的行為について徳が問題にされる場合においても、それは主体或いは人間に関係して問題にされるのである。ひとがその仕事において忠実であること、良心的であることは、道徳的であるといわれる。そのとき問題にされているのは、彼の仕事でなく、彼の人間である。しかしながら他方、いかなる人間の行為も物に関係している。我々自身或る意味では物であり、人と人との行為的聯関は物を媒介とするのがつねである。人間の徳を彼の仕事における有能性から離れて考えることは抽象的であるといわねばならぬ。
それのみでなく、技術の意味を広く理解して、人間の行為はすべて技術的であると考えるとき、徳と有能性との密接な関係は一層明瞭になるであろう。従来技術といわれたのは主として経済的技術である。かように技術というと直ちに物質的生産の技術を考えることは、近代における自然科学及びこれを基礎とする技術の飛躍的発達、それが人間生活にもたらした顕著な効果の影響のもとに生じたことである。しかしギリシアにおいて芸術と技術とが一つに考えられたように、一切の文化は技術的に形成されるものである。そして独立な主体と主体とは、客観的に表現された文化を通じて結合される。主体と主体とはすべて表現を通じて行為的に関係する。人と人とが挨拶を交すとき、その言葉はすでに技術的に作られたものである。挨拶は修辞学的であり、修辞学は言葉の技術である。そのとき、彼等が帽子をとるとすれば、そこにまたすでに一つの技術がある。一般に礼儀作法というものは技術に属している。技術的であることによって人間の行為は表現的になる。礼儀作法は道徳に属すると考えられているように、すべての道徳的行為は技術とつながっている。礼儀作法は一つの文化と見られるが、一切の文化は技術的に作られ、主体と主体との行為的聯関を媒介するのである。経済はもとより、社会の諸組織、諸制度も技術的に作られる。自然に対する技術があるのみでなく、人間に対する技術がある。人間は自然的・社会的環境において、これに行為的に適応しつつ生活している。自然に対する適応と社会に対する適応とは相互に制約する。自然に対する適応の仕方が社会の組織や制度を規定し、逆にまた後者が前者を規定する。自然に対する技術と社会に対する技術とは相互に聯関している。そして歴史的に見ると、近代社会における中心的な問題は自然に対する技術であったが、それが産業革命となり、その後その影響から重大な社会問題が生ずるに至り、現代においては社会に対する技術が中心的な問題になっているということができるであろう。
この文章は、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/
)から転載したものです。
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