法学とは何か(8) 末弘厳太郎

 次に、近代社会の特徴である資本主義の合理的経営は、一面合理的資本計算を基礎としてのみ可能であるように、同時に近代国家の行政・司法における「官僚制」もまた、その必須の前提条件をなしている。「近代国家がその「官僚制」的中央集権によって広い地域にわたって持続的に治安を確立し、大規模生産に不可欠な市場を形成すること、近代国家が種々の経済秩序(例えば商法・統一的貨幣制度など)を創設・保証・維持すること、さらにまた、専門家としての近代的『官僚』が国家の計画的・合理的な経済政策(たとえば財政・金融政策など)を可能ならしめること、などその顕著な場合である」。そして「近代国家の国家活動は、あらかじめ国民に公示された成文法秩序のもとに、専門的かつ無私的な官僚によって、計画性と安定性とをもって執行される」。かくして国家活動が「偶然性・恣意性を脱し、あらかじめ計算しうる(予見しうる berechenber)ものとなる」によって、「企業は安心して国家活動をその企業活動に織りこむことができ」、「近代的工場経営に特徴的な固定投資はこれによってはじめて可能となるのである」。
 以上の趣旨を、法学的の立場から更に必要と思われることを補足しながら、綜合して要約すると、次の通りになる。
 (1) 近代社会のあらゆる事柄は、主として官庁・企業等の「大量成員団体」により「組織の力」によって運営されているが、かかる大規模経営の秩序正しい機械のように正確な運営を可能ならしめるためには、一方において経営内部の規律を確保するための行為規範体系を必要とすると同時に、他方ではかかる規律に堪え得るように訓練された官僚的の勤務者群を必要とする。即ち、経営の内部秩序それ自身が極めて法律的であって、すべてがあらかじめ定められた行為規範によって秩序正しく行動することが要求される。
 (2) 資本主義的経営が合理的資本計算によってのみ可能であるように、司法・行政等の国家機能も、あらかじめ定められた法規範に従ってすべて結果を予見し得るように正確に運営されることが必要で、それには、その運営に当る官僚群が、かかる目的に従って規律正しい活動をなし得るように特別に訓練されることが必要である。即ち、法治主義的の司法や行政に信頼してのみ近代資本主義的の経営は可能である。
 (3) 従って、団体と団体との関係、人と人との関係も、すべてあらかじめ定められた法規範によって「結果を予見し得るように」規律されていることが必要で、これあるによってのみ、近代社会の基礎である自由主義的秩序が可能であり、かかる法的保障あるによってのみ、個人の行動の自由とそれを基礎とした民主的社会秩序とが成り立ち得る。
 (4) しかし、同時に注意すべきことは、以上のような法的秩序はあらかじめ不動的に定立された法規範の自動的作用によってのみ成り立つのではなくして、特に法学的の訓練を受けた専門家がその運用に当ることが必要なことである。いかに精密な法規範体系を用意しても、それの自動的作用のみでは法秩序の円滑な運用を期することはできない。法には一面、機械のように正確な規整作用を行う非情的な面があり、それこそまさに法の特徴であるけれども、同時に個々の場合の具体的事情に応じて具体的に妥当な処理が行われなければ、全体として円滑に動かない面を持っている。だから、裁判所はもとよりその他の官庁や企業団体等にも、必ずかかる具体的処理を担当する専門家が必要であって、これあるによってのみ法の機械は円滑に動くのである。彼らは既定の法規範体系の単なる法字引でもなければ、見張人でもない。法学的訓練によって特に習得した法学的のものの考え方を活用して法秩序の円滑な動きを保障すると同時に、ひいては、社会の進展変化に応じて法秩序を成長せしめてゆく働きをするのである。
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