第二に、法政策学としての実用法学は、一面において「法哲学」によって政策定立の理念と指標とを与えられると同時に、他面においては、「法社会学」によって発見された法に関する社会法則によって政策実現の方法を教えられる。実用法学と法社会学との関係は、たとえて言えば、工科の学問と理科の学問との関係、臨床医学と基礎医学との関係に似ている。技術学としての工科の学問は、一定の文化目的を達するために、自然科学としての物理学や化学によって発見された自然法則を利用する。それと同じように、政策学としての実用法学は、社会科学としての法社会学が発見した法に関する社会法則を利用して、立法や裁判の合理化を図るのである。法哲学は立法、裁判等の法実践にむかって指標を与えるけれども、その指標に従って立法し裁判する実際の動きは、法の社会法則によって制約されるのである。
かくのごとき意味での法社会学は今のところまだ十分に発達していないから、現在では立法者や裁判官が各自の個人的経験や熟練により、または法史学や比較法学の与える個々の知識を手引として立法し、また裁判しているにすぎないけれども、やがて法社会学が段々に発達してゆくにつれて、それによって発見され定立された法の社会法則が、立法上にもまた裁判上にも利用されるようになり、かくして法政策学としての実用法学が段々に科学化するに至るのだと私は考えている。工科の学問にしても臨床医学にしても、自然科学が今のように発達するまでは、専ら工人や医者の個人的経験や熟練によってのみ行われていたのであって、それらの学問が現在のように科学の名にふさわしい学問にまで発達したのは、自然科学の発達によって自然法則を利用することができるようになったからである。法学の場合には、今なおそれと同じ程度に発達した法社会学がないために、実用法学が十分に科学化していないけれども、最近における法史学や比較法学の発達、その他人種学、社会学等の発達は、ようやく法の社会法則の発見を目指す科学としての法社会学の成立を可能ならしめつつある。私は、この科学が、やがて自然科学と同じ程度に実用法学に必要な社会法則を十分提供し得るところまで発達すれば、法学が真に科学の名にふさわしい学問にまで発展し、立法や裁判のごとき法実践が、もっと無駄と無理のない合理的なものになるに違いないと考えている。
END
この文章は、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/
)から転載したものです。
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