第二に、形式的に言うと、法学書のほとんどすべては解説的に書かれており、直接法学的能力の訓練を目的とする形で書かれていない。大学の教育も大部分教説的であって、僅かに演習というような形で直接能力の訓練を目的とした教育が多少行われているにすぎない。
それでは、こうした内容、こうした形式の教育や法学書が、いかにして法学的能力の訓練に役立っているのであろうか。これを理解することは、法学入門者にとって極めて重要であって、さもないと、ややともすると講義や教科書で解説されているものを暗記し、もしくはたかだか理解することが、法学学習の目的であるというような誤解に陥りやすいのである。
七 現在法学教育の大部分は現行法令の解説から成り立っており、法学書も大部分は現行法令の解説に当てられている。これらの解説が現行法令の内容を教えることに役立つのは言うまでもないが、法学教育の見地から考えてそれよりも重要なことは、「解釈」の名の下に法令から法を導き出し、もしくは構成するために使われている「技術」を習得することである。
「解釈」の本質、また「技術」の使い方等については学者のあいだにかなり意見の開きがあって、その詳細を今ここに説くことはできないけれども、解釈技術を体得することは一人前の法律家たり得る最小限度の要件であるから、以下に問題の要点を簡単に説明する。初学者がこの点を一応心得た上で講義を聴いたり教科書を読めば、法学的能力を養う上に非常に役立つと思う。
この文章は、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/
)から転載したものです。
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