Category Archives: 国語

#恩讐の彼方に #菊池寛 【日本の名作文学】

「恩讐の彼方に」
作:菊池寛

 

市九郎は、主人の切り込んで来る太刀を受け損じて、左の頬から顎へかけて、
微傷ではあるが、一太刀受けた。自分の罪を――たとえ向うから挑まれたとは
いえ、主人の寵妾と非道な恋をしたという、自分の致命的な罪を、意識してい
る市九郎は、主人の振り上げた太刀を、必至な刑罰として、たとえその切先を
避くるに努むるまでも、それに反抗する心持は、少しも持ってはいなかった。

 

(略)

 

敵を討つなどという心よりも、このかよわい人間の双の腕によって成し遂げら
れた偉業に対する驚異と感激の心とで、胸がいっぱいであった。彼はいざり寄
りながら、再び老僧の手をとった。二人はそこにすべてを忘れて、感激の涙に
むせび合うたのであった。

 

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#雁 #森鴎外 【日本の名作文学】

「雁」
作:森鴎外

古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条と云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人であった。その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

(略)
僕は今この物語を書いてしまって、指を折って数えて見ると、もうその時から三十五年を経過している。物語の一半は、親しく岡田に交っていて見たのだが、他の一半は岡田が去った後に、図らずもお玉と相識になって聞いたのである。譬えば実体鏡の下にある左右二枚の図を、一の影像として視るように、前に見た事と後に聞いた事とを、照らし合せて作ったのがこの物語である。読者は僕に問うかも知れない。「お玉とはどうして相識になって、どんな場合にそれを聞いたか」と問うかも知れない。しかしこれに対する答も、前に云った通り、物語の範囲外にある。只僕にお玉の情人になる要約の備わっていぬことは論を須たぬから、読者は無用の臆測をせぬが好い。

 

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#山椒大夫 #森鴎外 【日本の名作文学】

「山椒大夫」
作:森鴎外

 

越後の春日を経て今津へ出る道を、珍らしい旅人の一群れが歩いている。
母は三十歳を踰えたばかりの女で、二人の子供を連れている。姉は十四、
弟は十二である。それに四十ぐらいの女中が一人ついて、くたびれた同
胞二人を、「もうじきにお宿にお着きなさいます」と言って励まして歩
かせようとする。二人の中で、姉娘は足を引きずるようにして歩いてい
るが、それでも気が勝っていて、疲れたのを母や弟に知らせまいとして、
折り折り思い出したように弾力のある歩きつきをして見せる。

 

(略)

 

女は雀でない、大きいものが粟をあらしに来たのを知った。そしていつ
もの詞を唱えやめて、見えぬ目でじっと前を見た。そのとき干した貝が
水にほとびるように、両方の目に潤いが出た。女は目があいた。
「厨子王」という叫びが女の口から出た。二人はぴったり抱き合った。

 

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#方丈記 #鴨長明 【日本の名作文学】

「方丈記」
作:鴨長明

 

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたか
たは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみ
かと、またかくの如し。

 

(略)

 

たゝかたはらに舌根をやとひて不請の念佛、兩三返を申してやみぬ。時に建
暦の二とせ、彌生の晦日比、桑門蓮胤、外山の庵にしてこれをしるす。

「月かげは入る山の端もつらかりきたえぬひかりをみるよしもがな」。

 

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#光と風と夢 #中島敦 【日本の名作文学】

「光と風と夢」
作:中島敦

 一八八四年五月の或夜遅く、三十五歳のロバァト・ルゥイス・スティヴンスンは、南仏イエールの客舎で、突然、ひどい喀血に襲われた。駈付けた妻に向って、彼は紙切に鉛筆で斯う書いて見せた。「恐れることはない。之が死なら、楽なものだ。」血が口中を塞いで、口が利けなかったのである。

(略)

 老酋長の一人が、赤銅色の皺だらけの顔に涙の筋を見せながら、――生の歓びに酔いしれる南国人の・それ故にこそ、死に対して抱く絶望的な哀傷を以て――低く眩いた。
「トファ(眠れ)! ツシタラ。」

 

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#にごりえ #樋口一葉 【日本の名作文学】

「にごりえ」
作:樋口一葉

 

おい木村さん信さん寄つてお出よ、お寄りといつたら寄つても宜いでは
ないか、又素通りで二葉やへ行く氣だらう、押かけて行つて引ずつて來
るからさう思ひな、ほんとにお湯なら歸りに屹度よつてお呉れよ、嘘つ
吐きだから何を言ふか知れやしないと店先に立つて馴染らしき突かけ下
駄の男をとらへて小言をいふやうな物の言ひぶり、腹も立たずか言譯し
ながら後刻に後刻にと行過るあとを、一寸舌打しながら見送つて後にも
無いもんだ來る氣もない癖に、本當に女房もちに成つては仕方がないね
と店に向つて閾をまたぎながら一人言をいへば、高ちやん大分御述懷だ
ね、

 

(略)

 

流石に振はなして逃る事もならず、一處に歩いて話しはしても居たらう
なれど、切られたは後袈裟、頬先のかすり疵、頸筋の突疵など色々あれ
ども、たしかに逃げる處を遣られたに相違ない、引かへて男は美事な切
腹、蒲團やの時代から左のみの男と思はなんだがあれこそは死花、ゑら
さうに見えたといふ、何にしろ菊の井は大損であらう、彼の子には結構
な旦那がついた筈、取にがしては殘念であらうと人の愁ひを串談に思ふ
ものもあり、諸説みだれて取止めたる事なけれど、恨は長し人魂か何か
しらず筋を引く光り物のお寺の山といふ小高き處より、折ふし飛べるを
見し者ありと傳へぬ。

 

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#渋江抽斎 #森鴎外 【日本の名作文学】

「渋江抽斎」

作:森鴎外

三十七年如一瞬。学医伝業薄才伸。栄枯窮達任天命。安楽換銭不患貧。

これは渋江抽斎の述志の詩である。想うに天保十二年の暮に作ったものであろう。

弘前の城主津軽順承の定府の医官で、当時近習詰になっていた。しかし隠居附に

せられて、主に柳島にあった信順の館へ出仕することになっていた。

(略)

下渋谷の家は脩の子終吉さんを当主としている。終吉は図案家で、大正三年に津田

青楓さんの門人になった。大正五年に二十八歳である。終吉には二人の弟がある。

前年に明治薬学校の業を終えた忠三さんが二十一歳、末男さんが十五歳である。こ

の三人の生母福島氏おさださんは静岡にいる。牛込のお松さんと同齢で、四十八歳

である。

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