歴史とは何か(6) 津田左右吉

 最後に第十として、生活するについての人の態度を一言しておかう。生活は自己の生活である。しかしそれは、物質的精神的社会的自然的ないろ/\の力いろ/\のことがらがはたらきあつて生ずる環境のうちに於いて営まれる。人はこの環境のはたらきをうけつゝ、それに対応して、それを自己の生活に適応するやうにしてゆかうとする。この意味に於いて人は断えず環境を作つてゆくのである。そこに生活の主体たる人の力があり、生活そのものの意味がある。人は環境に対して受動的な地位にあるのみではなくして、能動的なはたらきをするのである。けれども環境の力は強い。みづから環境を作りつゝ、その環境から強いはたらきをうけるのである。上に自己の言行思慮が自己を制約するといつたが、それは即ち自己の言行などがそのまゝ環境を形づくることなのである。のみならず、この環境は、それを形づくるものの間に調和の無い場合が多く、またそれにも常に変化がある。従つて人の生活の環境から受けるはたらきにも混乱がありがちである。そこで人は、ともすれば環境に圧倒せられ、或はそれによつて生活をかき乱される。たゞ剛毅なる精神と確乎たる生活の理念とをもつてゐるものが、よく環境に対して能動的なはたらきをなし、環境を生活に適応するやうに断えず改めてゆき、それによつて生活の主体としての人の力を発揮し、生活をして真の生活たらしめる。かゝる人に於いて、生活が人の生活であり自己の生活であることが、最もよく知られる。
 以上は個人の生活についての考であるが、民族生活とか国民生活とかの如く、集団の生活といふことが、一種の比擬的な意義に於いて、いひ得られるならば、さういふ生活についても同じことが考へられよう。上にいつた如く人の行動は具体的にはすべて個人の行動であるが、その多くの個人の行動が互にはたらきあふことに於いて、一つの集団としてのはたらきが生ずるとすれば、それを集団それ自身の生活と称することができるであらう。さうしてその生活は個人のに比擬して考へられるのである。たゞ集団の生活を動かす心的なはたらきは個人の場合よりも遥かに複雑であり、生活そのもののはたらきも遥かに多方面であり、特に生活の主体が多くの個人によつて形づくられてゐることが、個人の生活とは同じでなく、従つてそのはたらきかたにも個人のとは違つたところがあるが、その他に於いては、集団の生活は個人のについて上にいつたことがほゞあてはまる。この意味に於いては集団の生活もまた具体的のものである。
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