歴史とは何か(5) 津田左右吉

 第六には、いふまでもないことながら、生活を動かしてゆくものは心のはたらきだといふことである。かういふいひかたは実は適切ではなく、心のはたらくそのことが生活の動きであるが、一おうかういつておく。さてこゝに心のはたらきといふのは、理智のみのことではなく、意欲、情感、一くちに生活気分といはれるやうなもの、を含めてのことである。事実、人の生活を直接に動すものは主として後の方の力だからである。もつと適切には、理智とか意欲情感とかいふものが別々にあつてそれらが別々にはたらくのではなく、それらは一つの心のはたらきのいろ/\の側面であり、またそれらは互に滲透しあひ変化させあひ、一つのはたらきのうちに他のはたらきが含まれてゐて、それによつて人の生活を動かしてゆくのみならず、かゝる名をつけることのできない肉体のはたらきもそれに参加するのであるが、便宜上しばらくかういふのである。が、これらの心のいろ/\のはたらきは必しも常に調和してゐるのではなく、その間に齟齬のあることがあり、時には衝突も生ずる。理智によつて成りたつ思想とても、多くの異質のもの、互に一致しない考へかたから構成せられたもの、を併せもつてゐることがある。従つて、さういふ心のはたらきが生活を動かしてゆく動かしかたも単純ではない。生活と心のはたらきとを分けていつたのは、このことをいはうとしたからである。第七には、人の生活は一つの生活であるが、それには多方面がある、といふことである。衣食住に関すること、職業または職務に関すること、娯楽に関すること、家庭の人として、社会の人として、またはその他の関係に於いての人として、のそれ/\のしごと、数へ挙げればなほいろ/\あらうが、人の生活にはこれらの多方面があり、さうしてそれらが互にはたらきあつて一つの生活を形づくるのである。しかしそのうちには、性質の異なるもの、由来の同じからざるもの、互に調和しがたいものもあつて、その間に衝突の起る場合が少なくない。そのために生活の破綻が生ずることさへもある。人はかういふ生活をしてゐるのである。いはば多方面の生活が一つの生活なのであつて、それ故にこそ時に生活の破綻も生ずるのである。
 さて第八には、人は孤立して生活するのではないから、一言一行も他人との、また集団としての社会との、交渉をもつものであり、一くちにいふと生活は社会的のものだ、といふことであるが、これについては多くいふ必要があるまい。たゞ他の個人との交渉が相互的のものであることはいふまでもなく、社会との関係に於いても、社会のはたらきを受けながら社会にはたらきかけるのが人の生活であることを忘れてはなるまい。上にもいつた如く、もと/\社会といふものが多くの人のはたらきあひによつて形づくられてゐるものなのである。第九には、人の生活は歴史的のものであり、人は民族または国民としての長い歴史のうちに生活してゐるものだ、といふことである。人の思想が多くの異質のものを含んでゐるのも、生活の多くの方面に互に調和しがたいもののあるのも、民族史国民史のいろ/\の段階に於いて生じたものが共に存在してゐるところに原因のあることが、少なくない。
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