歴史とは何か(1) 津田左右吉

 世界の文化民族の多くは、その文化が或る程度に発達して文字が用ゐられて来ると、今日常識的に歴史的記録といはれるやうなものを何等かの形に於いて作り、さうしてそれを後世に伝へた。さういふものの由来、特にその前の段階としてのいひ伝へのこととか、民族によるその特殊性とか、またはそれらがどれだけ事実を伝へてゐるかとか、いふやうなことは、別の問題として、今はたゞそれらが主として人のしたこと人の行動を記したものであること、従つてまたその記述がほゞ時間的進行の形をとつたもの、いひかへると何ほどか年代記的性質を帯びてゐるものであること、を回想したい。自然界の異変などが記されてゐても、それは人がそれに対して何ごとかをし、またそれが人の行動に何等かのはたらきをするからのことであり、個人の行動ではなくして一般的な社会状態などが語られてゐる場合があるにしても、それはもとより人がその状態を作り、またその状態の下に於いて行動するからのことである。上代の歴史的記録がかゝるものであることは、人がその民族の生活に於いて、何ごとを重用視し、何ごとを知らうとし、何ごとを後に伝へようとしたか、を示すものであつて、それは歴史の本質にかゝはることなのである。勿論、今日の歴史学にとつては、さういふものはたゞ何等かの意味での史料となるに過ぎないものであるが、歴史学の本質はやはり同じところにある。歴史上の現象はどんなことでもすべてが人のしたこと人の行動だからである。
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