哲学入門(63) 三木清

しかし道徳は外的なものでなく、心の問題であるといわれるとすれば、そこに更に心の技術というものが考えられるであろう。心の徳も技術的に得られるのである。人間の心は理性的な部分と非理性的な部分とから成っているとすれば、理性が完全に働き得るためには非理性的な部分に対する理性の支配が完全に行われねばならぬであろう。この支配には技術が必要である。人間生活の目的は非理性的なものを殺してしまうことにあるのでなく、それと理性的なものとを調和させて美しき魂を作ることであると考えられるとすれば、技術は一層重要になってくる。心の技術は物の技術と違って心を対象とする技術であるにしても、それは単に心にのみ関係するものではない。この技術もまた一定の仕方で環境に関係している。即ち物の技術においては、技術の本質であるところの主観と客観との媒介的統一は、物を変化し、物の形を変えることによって、物において実現される、そこに出来てくるのは物である。心の技術においても環境が問題でないのでなく、ただその場合主観と客観との媒介的統一は、心を変化し、心の形を作ることによって、主体の側において実現される。かくして「人間」が作られるとき、我々は環境のいかなる変化に対しても自己を平静に保ち、自己を維持することができるのである。その人間を作ることが修養といわれるものである。修養は修業として技術的に行われる。しかしながら心の技術は社会から逃避するための技術となってはならぬ。身を修めることは社会において働くために要求されているのである。修業はむしろ社会的活動のうちにおいて行われるのである。我々は環境を形成してゆくことによって真に自己を形成してゆくことができる。いわゆる修業も特定の仕方において主体と環境とを技術的に媒介して統一することであるにしても、心の技術はそれ自身に止まる限り個人的である、それは物の技術と結び付くことによって真に現実的に社会的意味を生じてくるのである。
技術的行為は専門的に分化されている。そして自己の固有の活動に応じて各人にはそれぞれ固有の徳があるといわれるであろう。大工には大工の徳があり、彫刻家には彫刻家の徳がある。徳とは自己の固有の活動における有能性である。しかるにかようなそれぞれの徳が徳といわれるのは、その活動が社会という全体のうちにおいてもつ機能に従ってでなければならぬ。各人は社会においてそれぞれの役割を有している。人間はつねに役割における人間である。各人が自己の固有の活動において有能であることが徳であるのは、それによって各人は社会における自己の役割を完全に果すことができるからである。無能な者はその役割を十分に果すことができぬ故に、彼には徳が欠けているのである。かようにして徳が有能性であるということは、人間が社会的存在であることを考えるとき、徳の重要な規定でなければならぬ。ひとが社会において果す役割は彼の職能を意味している。自己の職能において有能であることは社会に対する我々の責任である。物の技術において有能であることも、社会に関係付けられるとき、主体に関係付けられることになり、道徳的意味をもつに至るのである。
各人が専門に従って有する徳はそれぞれ異っているであろう。しかるに徳はかように特殊的なものでなく普遍的なものでなければならぬと考えられている。大工が大工として有する徳が徳であるのでなく、むしろ彼が人間として有すべきものが徳である。かような徳は、彼の専門の活動がいかなるものであろうと、すべての人間に共通である。例えば、正直であることは、大工にとって必要であるばかりでなく、商人にとっても必要である。そこに技術的徳と固有な意味における徳とが区別される。徳は人間性に関わるもの、普遍人間的なものと考えられる。それは各人の固有な活動に関わるものでなく、人間の人間としての固有な活動に関わるものでなければならぬ。プラトンが技術的徳に対して「魂の徳」といったのはかようなものである。道徳は主体的なものに関係し、人間性というのもかようなものでなければならない。枝術的徳から区別して魂の徳というが如きものを考えることには或る重要な意味がある。しかしながらまたそれぞれ固有の活動に従事する人間を離れて人間一般を考えることは抽象的である。大工の人間は彼の大工としての活動を離れて考えられず、芸術家の人間は彼の芸術家としての活動を離れて考えられない。各人の固有な徳から抽象して人間性一般の徳を考えることは無意味であろう。技術的徳とは別に徳そのものを考えることは、道徳を単に意識の問題と見て、行為の立場から見ない抽象的な見方に陥り易いことに注意しなければならぬ。ゲーテが考えたように、技術は人間に対して道徳的教育的意味をもっている。ひとは彼の技術に深く達することによって人間としても完成されるのである。
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